学校給食の今・昔 ~給食に求められていることは?

皆さんは子どもの時、給食が好きでしたか?

 実は、私はかつて学校栄養職員から栄養教諭として勤務していましたが、その40年間で大きく変わったなあと実感しています。

 その学校給食、一体いつから、そしてどのような目的で始まったのでしょうか。1月24日から1月30日が全国学校給食週間ですので、学校給食について振り返ってみたいと思います。

学校給食の始まりは・・・

 もう、かなり昔です。今のような学校が無かったころに始まりました。
それは、明治22年のことです。山形県鶴岡町にある大督寺、その中にある私立忠愛小学校で、食べるものに不自由している子どもたちに無償でおにぎりや焼き魚、漬物を出したのが始まりです。
 一番は、恵まれない子どもたちのための、栄養補給が目的でした。無償ですので、どこから材料を調達していたか?
 それは、そのお寺の僧侶が托鉢でまわっていただいたお米やお金で用意されたものと聞いています。その時のお坊さんも、協力してくださった地域の方々にも感謝ですね。

 大正時代になると、「小学校児童の衛生に関する件」で、児童の栄養改善を図る方法として学校給食が推奨されるようになりました。そのようなこともあり、その後、徐々に広まっていきました。
 昭和初期の生まれの人の話によると、給食はお母さんたちが交代で作ってくれていたそうです。材料は自分たちが持ち寄った野菜で、お味噌汁を作ってくれたとのことでした。

 そしてその後、第二次世界大戦となり、食糧不足になったのが原因で、給食は中止となりました。

給食が再開されたのは・・・

 第二次世界大戦で敗戦国となった日本。ジブリのアニメーション映画にある「火垂るの墓」で、孤児となった兄妹が飢えで死んでしまう様子が描かれているように、それこそ食べるものに困っていたころです。

 飢えで苦しんでいる人が多かった日本に、外国の方が手を差し伸べてくれることが起きました。
昭和21年12月24日に、ララ(アジア救済公認団体)やアメリカ連合軍から脱脂粉乳など給食物資が寄贈され、学校給食が再開されるようになったのです。
それが、全国学校給食週間が設定されるようになった記念日です。
 あれ?1月じゃないの?と、思われますよね。
 1月にしたのは、12月だと冬休みと重なる地域が多いためです。1か月遅れにすることで、全国の子どもたちが学校給食を通して食や感謝することについてなどを学ぶことができるようにしました。
実際、それぞれの小中学校で実施される給食週間は学校により時期が異なりますが、全国としてはこの1月24日からの1週間ということで、様々な行事が実施されています。

昭和の時代の給食は・・・

 学校給食が再開されてからしばらくは、コッペパンとミルク(脱脂粉乳)が中心のメニューが続いていました。(1949年から1964年にかけてだそうです)
このころに給食を食べられていた方々からは、ミルク(スキムミルクです)がおいしくなかったという感想を良く聞きます。それでも、たまに味変で小豆味のものも出ているときがあり、なんとか子どもたちに飲んでもらおうという努力があったのだなあと、思います。
 その後、地域により差はありますが、脱脂粉乳のミルクから牛乳に変わり始め、さらに、パンも食パンや揚げパンなどバリエーションが増えるようになりました。でも、まだまだご飯が主食の国なのに、給食では今給食で出ているパンよりも大きい、わらじのようなコッペパンが良く出ていました。

 昭和40年代に入ると、麺も主食として出るようになりました。
それが、通称「ソフト麺」、正式名称は「ソフトスパゲッティ式麺」です。
 でも、これは出なかった地域もあるとのこと。今でもソフト麺は給食に登場しますが、関西ではないとの話を聞き、子どものころからソフト麺は夏場以外あるものだと思っていた私は驚きました。

 主食の変遷としては、1976年(昭和51年)から徐々に、ようやくご飯が登場することになりました。やっとご飯の登場です!
 ただし、学校や給食センターで用意できないため、牛乳とおかずは用意され、ご飯は自宅から持参するという方式がとられていました。
 そして、だんだん炊飯設備が導入されたり、地域の炊飯施設のかたに作っていただいたりで、提供者側で出せるようになっていきました。ご飯を忘れる子どもたちがいたり、衛生管理面で心配だったりしたことが、これで解消されるようになりました。 

 このように主食が3種類になり、それぞれ種類も増えていくと、メニューも豊かになります。それまで、主食とおかずが和洋折衷でちぐはぐなこともあったと思いますが、だんだん一食の献立として整うようになっていきます。
 食器も変わり始めます。それまで、アルマイトの円形のお皿と汁カップだったものが、クリーム色のポリプロピレンの食器に変わっていきます。

 そしてこの頃からか、成長期の子どもたちにとって「栄養補給」を目的としていた給食の意味が変わっていきます。だんだん飽食の時代と呼ばれるようになったなかで、バランスよく食べて健康な体を作るための参考にするのが目的となります。
 併せて、和食の大切さも広めたり、行事とあわせた献立を出したり、世界のメニューを取り入れたりと、メニューもバリエーションが豊かになっていきました。

平成は激動の時代! そして今・・・

 健康な体をつくるための参考でありつつ、子どもたちが自ら考えて選ぶ楽しみも体験できるバイキング給食(リザーブ給食の場合もあり)が取り入れられるようになります。これは、大きなセンター給食だと実施できないのではないかと思いますが、学校で給食を作ることができる(=自校給食校)では取り入れられているところが多くあります。

 献立の多様化の一つとして、図書館にある本に出てくる料理を出す、本とのコラボレーションメニューも読書週間などを中心に出すことも始まりました。

 さらに、食育が学習指導要領にしっかりと位置づくと、教科と関連した献立を実施して
子どもたちにより深い学びとなるようにアプローチする、ということも行われてきています。

 なお、おいしい給食であることは、基本です。おいしくなかったら、どんなに工夫したメニューであっても、どんなに学びと合わせたものであっても、子どもたちの心にちゃんと届きません。
 自然な旨味を生かし、年齢や体格に合わせた食事摂取基準に見合う一食を出すことは必須です。

 かつては、食べるものに事欠いている状況を少しでも良くしようと始まった学校給食ですが、今は、学校給食を通して食について学んだり、命や自然の恩恵に関してなど感謝の心を育んだりなど、生涯にわたり健康な心身を培うのが目標となりました。
 食育基本法が制定され、学校給食法と併せて、それらの目標が掲げられています。献立だけでなく、その目標も大きく変わった学校給食、これからどのようにさらに発展していくのか、長年関わった者として見つめ続けていきたいと思っています。

 ざっと給食の歴史を載せましたが、深掘りしたい内容もあります。
 それについては、また後日載せていきます。

 
 

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